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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(オ)1413号 判決 1989年9月19日

主文

原判決を破棄し、第一審判決中上告人敗訴部分を取り消す。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人石田一則の上告理由について

一  原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は第一審判決添付物件目録(二)記載の土地(以下「被上告人所有地」という。)を所有し、上告人は同目録(一)記載の土地(以下「上告人所有地」という。)を所有しているが、右両土地は、第一審判決添付図面(一)記載のEFの各点を直線で結んだ線(以下「本件境界線」という。)を境界として、相隣接している。

2  上告人は、昭和五一年四月ころ、被上告人の了解を求めることなく、上告人所有地上に、本件境界線から北に向かって五〇センチメートルの距離内にある、前記図面(一)記載のニホヘハニの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地部分(以下「本件土地部分」という。)にまたがって、前記目録(一)記載の鉄骨造三階建建物(以下「上告人建物」という。)を建築し始めた。

3  右両土地付近においては、末端が公道に接していない境界線(本件境界線もこれに該当する。)から五〇センチメートルの距離を置かないで中層建物を建築することが許されるという慣習が存在するものと認めることはできないが、一方、右両土地付近は準防火地域に指定されており、上告人建物の外壁は耐火構造である。

二  原審は、右事実関係に基づいて次のような判断を示し、上告人建物のうち、本件土地部分に存する部分の収去を求める被上告人の請求を認容した第一審判決を維持し、上告人の控訴を棄却した。

1  防火地域又は準防火地域内にある外壁が耐火構造の建築物、すなわち、建築基準法六五条の要件に該当する建物については、直ちに民法二三四条一項の規定の適用が排除されるものではなく、同項により保護される採光、通風、建物の建築・修繕の便宜等の相隣土地所有者の生活利益を犠牲にしても、なお接境建築を許すだけの合理的理由、例えば、相隣者間の合意とか、同法二三六条所定の慣習等がある場合に限って初めて、建築基準法六五条の規定が民法二三四条一項の規定に優先して適用される。

2  上告人建物の建築につき、接境建築を許すだけの合理的理由は認めることができないから、建築基準法六五条によって民法二三四条一項の規定の適用を排除すべきものとすることはできない。したがって、上告人建物のうち本件土地部分に存する部分は、同項に違反して建てられているものであり、被上告人は、同条二項により右建物部分の収去を求めることができる。

三  しかしながら、右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

建築基準法六五条は、防火地域又は準防火地域内にある外壁が耐火構造の建築物について、その外壁を隣地境界線に接して設けることができる旨規定しているが、これは、同条所定の建築物に限り、その建物については民法二三四条一項の規定の適用が排除される旨を定めたものと解するのが相当である。けだし、建築基準法六五条は、耐火構造の外壁を設けることが防火上望ましいという見地や、防火地域又は準防火地域における土地の合理的ないし効率的な利用を図るという見地に基づき、相隣関係を規律する趣旨で、右各地域内にある建物で外壁が耐火構造のものについては、その外壁を隣地境界線に接して設けることができることを規定したものと解すべきであって、このことは、次の点からしても明らかである。すなわち、第一に、同条の文言上、それ自体として、同法六条一項に基づく確認申請の審査に際しよるべき基準を定めたものと理解することはできないこと、第二に、建築基準法及びその他の法令において、右確認申請の審査基準として、防火地域又は準防火地域における建築物の外壁と隣地境界線との間の距離につき直接規制している原則的な規定はない(建築基準法において、隣地境界線と建築物の外壁との間の距離につき直接規制しているものとしては、第一種住居専用地域内における外壁の後退距離の限度を定めている五四条の規定があるにとどまる。)から、建築基準法六五条を、何らかの建築確認申請の審査基準を緩和する趣旨の例外規定と理解することはできないことからすると、同条は、建物を建築するには、境界線から五〇センチメートル以上の距離を置くべきものとしている民法二三四条一項の特則を定めたものと解して初めて、その規定の意味を見いだしうるからである。

本件についてこれをみると、上告人所有地は準防火地域に指定され、上告人建物の外壁は耐火構造であるというのであるから、建築基準法六五条により、上告人建物の建築は、本件土地部分においても許容されるというべきである。

四  そうすると、上告人建物の建築について民法二三四条一項の規定が適用されるものとした原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものであり、この違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである。この点の違法をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、原審の適法に確定した前記事実関係のもとにおいては、右説示に徴し、本件土地部分に存する上告人建物の部分の収去を求める被上告人の本訴請求は理由がないから、第一審判決中右請求を認容した上告人敗訴部分を取り消し(なお、第一審判決中主文第二項は、被上告人の訴えの一部取下げにより失効している。)、被上告人の右請求を棄却すべきである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の反対意見は、次のとおりである。

私は、建築基準法六五条が、同条所定の建物については民法二三四条一項の規定の適用がないことを規定したものであるとする多数意見には賛成することができず、本件上告は棄却されるべきであると考える。そこで、以下に私の見解を明らかにしたい。

民法二三四条一項は、相隣接する土地所有権の内容に制限を加え、私人間の権利関係を調整する規定である。これに対し、建築基準法は、建築物の敷地、構造、設備及び用途について公益の観点から最低の基準を定めているのであり(同法一条)、公法上の見地から規制を加えているのであって、法律全体としてみれば、私人間の権利を調整しているわけではない。したがって、規定自体において、民法その他の私法規定の特則を定める旨の特段の文言があればともかく、そうでない限り、建築基準法の各規定は、公法上の規制を定めているものといわなければならない(最高裁昭和五四年(行ツ)第一〇三号同五五年七月一五日第三小法廷判決・裁判集民事一三〇号二五三頁参照)。もとより、このことは原則的にいえることであって、建築基準法の各規定の持つ意味は個別に吟味される必要がある。そして、建築基準法六五条では、防火地域又は準防火地域における外壁が耐火構造の建築物について、その外壁を隣地境界線に接して設けることができるとされていて、単に建築を許容する旨規定されているにとどまることなどからすると、多数意見のいうように、同条は、私法規定である民法二三四条一項の特則を定めたものと解する余地もありえよう。しかしながら、建築基準法六五条においては、同条が民法二三四条一項の特則を定めた旨明示されておらず、しかも、建築基準法六五条の前後には、確認申請の審査の対象となる公法上の規制についての規定が置かれているだけであることに照らすと、多数意見のいう論拠のみをもってしては、同条が卒然として私人間の相隣関係を規律する規定を設けたものと解することはできず、同条は、民法二三四条一項の特則を定めたものではないといわなければならない。

そのように解すべき根拠を実質的にみると、まず、民法二三四条一項は、境界近辺に建物を建築する場合、境界近辺に幾分の余地を残さないときには、隣地に建物を建築するに際しあるいは隣地の建物を修繕するため、隣地に十分の余地を残さなければならず、このため間接に隣地の所有権を侵害するに至ることから、隣接する土地の双方とも境界線から五〇センチメートルを置いて建物を建築すべきものとして、いわゆる早い者勝ちを防止することを定めたのであるが、建築技術が進歩した現在においても、この必要性の存することに変わりはない。防火地域及び準防火地域においてもこの必要性があることはいうまでもない。さらに、民法二三四条一項は、日照、採光、通風、通行等の生活環境利益を確保するためにも規定されたものと解すべきである。したがって、多数意見のいうように、防火地域及び準防火地域に限って、防火上の見地及び土地の合理的ないし効率的な利用を図るという見地だけから、早い者勝ちの防止及び右生活環境利益が犠牲となるべき筋合はないといわなければならない。

また、防火地域又は準防火地域は、都市計画において市街地における火災の危険を防除するため定められるが(都市計画法八条一項五号、九条一三項)、これらの地域の指定は、都市計画における用途地域(同法八条一項一号)のうちの、火災危険率の高いと思われる商業地域等においてなされるだけでなく、中高層住宅に係る良好な住居の環境を保護するために定める地域である第二種住居専用地域(同法九条二項)にも及んでいるのが現状のようである。そして、防火地域及び準防火地域の指定が、一定の率以上の容積率や建ペい率が適用される地域を指定するという画一的な基準でなされていることも多いようであって、地域指定基準の立て方によっては、接境建築を許す慣習のなかった地域についても防火地域又は準防火地域として指定されることも予想されようし、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するために定める地域である第一種住居専用地域(同条一項)までが、防火地域又は準防火地域に指定される可能性もありえないではない。このような現状において、多数意見の見解を採用するとなると、生活環境利益等が保護されなければならない第二種住居専用地域等に指定された地域であって、接境建築を許す旨の慣習がなかった地域においても、防火地域又は準防火地域の指定がされることによって、直ちに接境建築を許容し、生活環境利益等を犠牲にしてしまう結果になることが懸念されるといえよう。

良好な居住環境を整備する必要性がますます高まり、中高層建築の技術も向上している今日、土地の合理的ないし効率的利用のためには、むしろオープンスペースの確保をしながら、建物の中高層化を図ることこそが要請されているのであって、土地の合理的、効率的な利用のために、防火地域及び準防火地域だけに限って、隣地との境界線までの建築を許容することは必ずしも相当でないし、接境建築を許すことが、土地の合理的ないし効率的な利用目的にかえって反する結果に陥ることにもなりかねないことが想起されなければならないのである。

以上のように考えると、建築基準法六五条は民法二三四条一項の特則を定めたものではないと解すべき実質的な要請が極めて大きいのであり、建築基準法において六五条が置かれている位置づけについてさきに述べた点を併せてみれば、私は、多数意見に同調することはできない。そして、原審の認定した事実関係によれば、上告人建物は、被上告人所有地からみて民法二三四条一項の規定に違反して建てられていて、本件土地付近においては、末端が公道に接していない境界線(本件境界線もこれに該当する。)から、同項に規定する五〇センチメートルの距離を置かないで中層建物を建築することが許されるという慣習は存しない以上、上告人建物が建築基準法六五条の要件に該当するものであるとしても、被上告人は、民法二三四条一項の規定に違反して建築中の三階建の上告人建物のうち本件土地部分に存する部分の収去を求めることができると考える。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はないのであって、論旨は採用することができず、本件上告は棄却を免れないというべきである。

(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 貞家克己)

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